オランダ生活、丸5年となる前に少し振り返る…

ご無沙汰しております。ひさしぶりに「おらのオランダ珍道中」のブログを更新したいと思います。自分自身の転換期という事や、いつかこの時期に考えていた事を読み返したいという事も含めて、今回書かせて頂きます。

時間というものは本当に早いもので、あと1カ月でオランダ生活が丸5年になります。この5年間で自分自身が大きく変わった事もあれば、何も変わらない部分、しょうもない部分、弱くなった部分などもあります。結構長い時間、日本を離れたと個人的には思っています。海外生活5年。この期間はオランダに来た当初、滞在の目標期間として定めておりました。27歳でオランダに来て20-30代の重要な節目を経験して、ヨーロッパで英語とオランダ語を流暢に話しワイングラスを片手にビジネストーク。そんなイケイケなビジネスマンに成長して日本へカムバック的な妄想を携えて海を渡りました。アホだなぁと思いますが、昔の日記にそんな内容を書いておられました。

妄想はさておきオランダという素晴らしい国に20代後半という比較的若い年齢で挑戦出来た事は、今でも最高の決断だったと思っています。経済的に優れ、治安も良く、個人の裁量を重要してくれるオランダの環境、クラブカルチャーの充実、芸術やカメラマンを愛してくれるお国柄、あくせくしてなくて老人や子供に優しい環境、背が小さくて弱っちいやつにも優しい事(そのお陰で俺は生き延びた!)、オランダ人は交渉は上手だが、真正面からのネゴシエーションに以外に弱いなど、自分にとって良いポイントが沢山ありました。

異文化の中に放り込まれ、持って生まれたトラブル体質とオランダの土壌がなんともまぁ非常に相性がよく、トラブルにつぐトラブルが己に降りかかってきました。それを何とか回避しながら、毎日が新鮮で新鮮で、かつ葛藤が続く事が多かったです。私のオランダ生活はHaarlem の4畳半の小さい部屋からスタートしました。決してひろくない一軒家で最高5人とシェア生活をして過ごしました。また、まさかの女性3人とシェア生活をしたり(漫画か!)と、今思うとかなり驚きな世界でした。日本から遊びに来てくれた友達がワンダーハウスと命名してくれましたがその名の通り、どんなに大金を払っても手に入らないぐらい超濃くて、ダメダメなことばかり起こりまくってました。そんな生活でオランダ人、トルコ人、ルーマニア人、アルベニア人、日本人のどうしよもない男たちが夢を語り、乾杯を重ね、せつない別れを味わい、波乱万丈な毎日をくだらなく乗り越えていきました。せつなくも笑える日々で、部屋の窓からの景色がとても綺麗で毎日、空の写真を撮っていました。このメンバーとの波乱万丈な時期の事は、ノートに日記として書いているので、どこかのタイミングで公表したい。

そんなこんなで生活に少しづつ慣れていた矢先の2015年の春にオランダ日本人界隈を騒がす大事件がありました。2015年3月に、日本国籍者はオランダで就労ビザの見直しがされました。当方で写真提供もさせて頂いたLifehakerの記事を紹介参考に。(https://www.lifehacker.jp/2015/05/150529holland_japanese.html)。*今は状況が変わってますのでご注意ください。

オランダ内で日本人へのビザ取得が容易となり”そりゃーびっくり”な幸運の風がちいさい背中をバシバシ押してくれました。オランダで就職した会社も非常…..で、“もうやるならこのタイミングしかない!!"と決意して2015年8月にSeishin 誠進 オランダ支店として起業をしました。社名は一番、長い間そのでかい背中を見てきた社長の会社名を使わせて頂きました。誠進という看板は、仕事に対しての取り組みや考え方、プロフェッショナルな意識や姿勢、人に対しての対応、トラブルが発生した時の誠意など、自立した人として大切な事を、社名の名前を汚さないよう毎日心から大切にして来ました。生活は決して豊かではありませんでしたが、会社の資産から最小限のリスクで様々な投資(時間、お金)もオランダで行ってきました。兎に角、チャンスがあれば攻め続けたという自負もあります。その経験値はわたしがオランダで勝ち得た、最高の自分に対する対価だと思っております。日々会う人や新しいビジネスが自分の教師だと知れた事、辛抱と積み重ねをスローガンにしていた事、動きながら考える事、失敗を誰よりも先に俺がする事、今では良い面、悪い面の両方を俯瞰して振り返る事が出来ますが、辛抱辛抱の連続でした。ですが、それが良い方向に作用したと思っています。

逆にこの5年間で弱くなった部分、今でも伸び悩んでいる部分が多々あります。先ずは言語の上達です。英語は聞き取りに関しては耳は大分慣れましたが、スピーキングと文法の組み立ては相変わらずです。あまり言いたくないのですが協調性への意識もだいぶ変わってしまいました。わたしが営業マンとして持っていた強みでしたが、こちらの生活で協調性よりも個人の意思を優先するケースが多くなったという感覚もあります。カメラマンで1人で知らない場所に飛び込む事、個人としての判断や考える環境が非常に多かったというのが要因かと思っています。つらつらとそれらしい事を述べましたが、元来の性格が”わがままだったのでは?”という単純明快な答えに行き着きました。「わがまま」が「超わがまま」に進化した感じです。

後、体力の持続力がだいぶ落ちたと思います。金、土にクラブでオールで撮影をして平日の仕事をしてまた週末にフェスをはしごするなど、当たり前にこなしてましたが現33歳の年齢には正直きついです。毎週月曜日に素晴らしいPARTYの撮影を3か月間務めさせて頂きましたが、翌日の営業日の火曜日がポンコツ過ぎて支障が出る為やむなくStopしました。1回の撮影で私は平均して約1500枚の写真を撮ります。良いアングルの為に走りますし動きますし、体勢もいろいろな格好をします。何よりめちゃめちゃ頭使います。私はシューティングゲーム&パズルゲームをこなす感覚で、最終的に100枚の良い場面をパズルのピースを組み合わせるイメージで撮影をしています。また見る人が飽きないような編集方法、アルバム配置まで考えています。本当に疲れるし、大変な仕事量なのでやるたびにしんどい思いをします。また機材(カメラ、パソコン、ソフト)は高いし、必要に応じて修理対応も必要だし、新しい機材も欲しくなるし、キリが無いし…愚痴で脱線しましたが、体力の低下は今後も続くので休憩をしたり、睡眠を充分に取る事が大事だと思っています。

日本からわざわざこんな遠い場所に来るならもちろん、野望の一つぐらいは持っていました。「私が5年間でなにを目標にしてたか?」日記に書いていたし、毎日その事は絶対に忘れないで生活をしておりました。目標はオランダで「トップグラファーになる事」。単純にそれだけでした。何がトップか今は明確ですがカメラを持ってオランダに来た当初は、カメラって何だ?位の知識しかありませんでした。そんなちんぷんかんぷん状態でしたが、なぜか自信に満ち満ちてました。うーん、自分で自分の事を褒めるのはおかしいが凄い!!これはある意味「特殊能力では?」

兎に角、カメラを使って何かでトップになる、それが目標でした。

今回5年間の集大成も近づいているため結果を考察しました。写真のシャッター回数は5年間で21万回、イベント、フェスティバルへの参加は178回、納品写真を平均100枚として約17800枚をお客様に納品、撮影クラブ、フェス数は120箇所以上、撮影ヶ国はオランダ、ベルギー、イギリス、ドイツ、フランス、スイス、ルクセンブルグ、日本の8ヶ国、雑誌への掲載回数は日蘭合わせて7回、オランダの新聞には2回、企業の撮影は7回、ウェディングは3組、家族写真は18組、webメディア、音楽カルチャー系はClubberia, qetic, Banana, higher freakency, 街角のクリエイティブなどなどは多数。Club チャンネルの番組の5本にプロジェクトメンバーで参加、音楽系の PVは3本撮影、映像のディレクターは2回、女性ヌード撮影も2回、カメラワークショップの講師も2回。展示会はまだ0回です!!数字的にはトップグラファーとは自信を持って言えません。正直、トップグラファーという目標は未達と認識しています、今後の課題にしたいと思っています。今後はもっと撮影のプロジェクトをどんどん回せるぐらいになりたいし、カメラの構え方、姿勢も直したいです。

番外編ですがオランダの子供向け人気TV 番組にカメラマン役で出演したりしました(笑)オランダのガキんちょに日本のカメラマンのイメージは俺で植え付けてやったと思ってます🤔あと、着物を来て日本男児のモデルとしてとても綺麗で素敵な日本人女性とランウェイを歩かせて頂きました。カメラマンは写真を撮られる経験も、とても大事だと思いました。

当たり前ですが、自分は写真&カメラが好きです。

写真という”瞬間と時間”を閉じ込められるという概念も好きだし、プリントアウトしてプレゼントできる可愛い部分も好きだし、動画(音も綺麗)も撮れちゃうし、フォトブックにも出来るし、綺麗なシルバーフレーム(額)に入れても良いし、SNSに投稿しても面白いし、自分の思い出にも最適。カメラの世界へ引き込んでくれたO先輩、Nぶ(実名を出したい)には大恩人です。またオランダまでついて来てくれた前の彼女も写真への造詣が深く、写真に対しての可能性をたくさんたくさん教えて貰いました。ひとの視覚:目(EYES)が”気がつく”というEYES/合図と組み合わせて、人がもつ多様性の視点(レイヤー)を作品へと作り上げるアイディアを教えてくれました。なおかつそのアイディアを実行をしていったクリエーター魂には感化されました。まーいろいろとあり、あの苦いビールの味と記憶は忘れられません。なにより感謝の気持ちしかありません。話は戻りますが、個人的にはカメラはツールとして最高の発明(化学)です。実はカメラはオランダから日本へと渡ってきた歴史があります。オランダから島津藩(現:鹿児島)に渡ってきました。オランダ人のカメラマンがサムライを撮影した写真も本になったりしてます。この事実を知った時、予期せぬワクワク感は言葉にする事が出来ません。

さて話もそろそろ終盤へ。「オランダ生活、5年経った後は何を目指すのか?」。答えはもうだいぶ前からみてきました。2020年の東京オリンピックに標準をあわせる。多分ですが私の生涯でもっとも東京が盛り上がり、世界中から目が向き、経済が動き、テクノロジーがリリースされ、新しい時代を感じる日と確信しています。毎日、日経新聞をチェックしてます。日本の経済情報は追いかけてます。昭和、平成そして平成30年12月31日に新年号が発表されます。兎に角、大好きな母国の今後の未来が楽しみで自分もそこに乗っかって行きたいと思っております。何をするかはこれから考えていこうと思っています。後は TPP の動きも注視しています。

愚痴をつらつら書いたろうと思っていたが、非常に前向きな気持ちでいる自分で居る事に気がつきました!なんか素晴らしい1日になりました。最後にですが自分にとってこの5年間を通じて、何が大切か明確になりました。本当に毎日笑ったり怒ったり、凹んだり、凹んだりと忙しい日々でした。俺、やっぱり1日でも早く日本帰りたいっす。焼酎と焼き鳥と、山が恋しいです。待ってろ〜赤提灯!!

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